Deep House(ディープ・ハウス)とは – 音楽ジャンル
狭義のDeep House
語源と定義
Larry Heard(ラリー・ハード)がハウスミュージックにソウルとジャズの要素を取り入れたことでディープハウスが誕生(*)、この用語は1988年までに英国で使用されはじめており、1988年2月に英国レスター・スクウェアにあるエンパイア劇場で開催されたイベント「Deep House Convention」では、Kym Mazelle(キム・マゼル)やMarshall Jefferson(マーシャル・ジェファーソン)、Frankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)など有力なシカゴのアーティストが特集されました。
By incorporating elements of the soul and jazz he grew up on, Heard unwittingly sophisticated and intellectualised the genre and, even though he probably didn’t know at the time, deep house was born. … The term was being used in the UK by 1988 and the Deep House Convention at Leicester Square’s Empire in February of that year featured a number of seminal Chicago artists like Kym Mazelle, Marshall Jefferson and Frankie Knuckles.
– mixmag : STOP CALLING IT DEEP HOUSE –
*注意)ただしラリー・ハードの登場によって突如ディープハウスが誕生した訳ではなく、「深み」を加えた結果として単なる電子ディスコではないレベルにモダナイズされていったとみるべきです。
「ディープハウス」という名称は、誕生当時はハウスミュージックのサブカテゴリ名ではなく、主にイベントやコンピレーションのためのキャッチフレーズとして使われていました。(一方で、アシッドハウス、ヒップハウスといったサブカテゴリは既に存在していました。)
曖昧な定義のまま生まれたディープハウスという言葉ですが、厳密な本来の意味合いを「狭義のディープハウス(原理主義的なハウスミュージック)」とするならば、フィリーディスコを原点としたシカゴ・ハウスおよびNYガラージ・ハウスの系譜にあるソウルフルでジャジーなハウスミュージックの総称であると言えます。
そもそも語源が黎明期のハウスそのものを指しているため、オーセンティックな(派生したものではない正統派の)ハウスの総称という風にざっくりと理解することも出来ます。
ラリー・ハードは如何にしてハウスミュージックをディープにしたか
How Larry Heard made house music deep | Resident Advisor(字幕あり)
”ディープ…それはハウスミュージックの本質を端的に表した言葉であり、DisclosureからFred Pまで全員に当てはめることができる…何を説明するにも用いることができ、例えばクラシックハウスからアンダーグラウンドの垣根を飛び越えた現代の違ったタイプの音楽までが、この言葉で表現される…同時にこの言葉の多岐にわたる使用は混乱を招いた…”
Channel 4:Pump Up The Volume – A History of House Music
Channel 4:Pump Up The Volume Part 2
電子音楽化と反復化
1985年頃 歴史上に登場したハウスミュージック(=現在のディープハウス)は、単にFour on the floor(4つ打ち)に乗せて電子音楽化されたディスコミュージックではなく、誕生時にもう一つ重要なコンセプトを持っていました。(電子化よりもこちらの方が先で、こちらの方が革新的でした。)
それは、過去のダンスミュージックとフロアの反応に対する考察を元にクラブDJ達によって生み出された「ディスコソングの一番気持ち良いパートやフレーズ、リズムに特化して反復する」という編曲方法です。(※ 1989年の海外音楽誌 i-D Magazineより)
この手法が編み出される前のダンスミュージック=ディスコミュージックでは「歌としての完成度」が優先されていたため、ダンスフロアにいる客はそのパートがくるのを待ちわびるしかなかったのです。
ハウスから派生して誕生したデトロイト・テクノにも継承されたこの手法は、単に歌モノを打ち込みに置き換えたポップス系の電子音楽とは異なる、大きな特徴となっています。
電子化以前の例として、この反復化のアイデアはロン・ハーディがオープンリール・テープデッキと2台のターンテーブルを使ってアイザック・ヘイズの「I Can’t Turn Around」を元に、生音の段階でやってのけています。後にシカゴハウスの2つのアンセム「J.M. Silk – I Can’t Turn Around」「Farley Jackmaster Funk – Love Can’t Turn Around」へと転化していった曲です。
※ ただしIsaac Hayes「I Can’t Turn Around」をループさせるというアイデアはFrankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)が生み出し最初に始めたものです。→ Resident Advisor:Frankie Knuckles: Waiting on my angel
Isaac Hayes – Can’t Turn Around ( Ron Hardy’s Edit) [1983] Chicago (9分半のループトラック)
Can’t Turn Around ( Ron Hardy’s Edit) 原曲を表示
電子音楽としての面からはすでにポール・ハードキャッスルのようなトラックメイカーから「19」のような世界的ヒット曲が出ていたり、ユーロビート/Hi-NRG(ハイエナジー)の分野でもローランドのTRサウンドやサンプラーは活用されていたため技術的に驚くほどの事はありませんでしたが、ディスコミュージックの反復化と複合することで衝撃的なインパクトのある新しい音楽ジャンルが誕生してしまったということです。
参考)Paul Hardcastle – 19 [1985]英
ハウスミュージックが与えた衝撃
特にJ.M. Silkの「I Can’t Turn Around」はニューヨークでも熱狂をもって受け入れられ、この1曲だけを深夜から朝までぶっ通しでMIXしながらリピートしていたクラブもありました。また空気が読めずユーロビートを流し続けたDJがクラブオーナーに殴られ、J.M. Silkの曲を流すハウスDJに交代させられたという過激なエピソードもありました。ちなみにJ.M. Silkとは、Farley “Jackmaster” Funk と Steve “Silk” Hurleyのあだ名を合体させたコンビ名です。
J.M. Silk – I Can’t Turn Around [1986] Chicago House
Coldcutによるブレイクビーツが「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」のジングルとして使われた曲!
Farley Jackmaster Funk – Love Can’t Turn Around [1986] Chicago House
BBC Radio DJ/FFRRレーベル主宰者としてUKリリースを手掛けたPete Tong(ピート・トン)からもハウスミュージックの歴史上、最も重要なリフ(Riff=Rifrain:反復強調)のひとつとして言及された、世界的メガヒット曲「French Kiss」。2023年現在においてもシャネルのファッションショーで使用されています。
Lil Louis – French Kiss [1989] Chicago Deep House
ディープハウスとは言えない初期ハウスヒット
ただしNYの伝説的クラブParadise Garage(パラダイス・ガラージ)におけるLarry Levan(ラリー・レヴァン)のガラージ(Soul/Disco)のムーブメントとは無関係な多くの人々にとって、初めてハウスミュージックに触れた時の印象は、シンセフックをリピートしてサンプル音をコラージュした先進的な風変りな電子音楽でしかありませんでした。
レコード店ですらよく分からない打ち込み系ダンスミュージックはとりあえずハウスミュージックのタグを貼っておくといったカオスな時代なので、今の感覚で言えばハウスといえるかどうか微妙なメガヒットもたくさん存在し、ハウスミュージックの定義が固まるまでには時間を要しました。(こうして過去の情報をコラムに落としているのも、日本の音楽評論家は洋楽ロックのレビューが本業だったため、当時はハウスに関する情報が乏しく、mixmagやi-Dのような海外音楽誌と現地レポート、輸入レコード店から得られる情報が全てだったからです。)
このような事情で初期ハウスヒットであってもディープハウスとは言えない楽曲例として、以下のようなものがあります。
時代背景:黎明期のヒットソング(シカゴハウス/ディープハウス以外)
インディーロックの4ADレーベルから誕生したワン・ヒット・ワンダーで実質的にはDave Dorrell、C.J. Mackintosh、A.R. Kaneが制作した楽曲。
M|A|R|R|S – Pump Up The Volume [1987]英 London
ちょうどユーロビート(Hi-NRG:ハイエナジー)からハウスミュージックへの移行の節目にあたるハイブリッドな曲で、ついにハウスのリズムトラック使用に踏み切ってしまったUKユーロビート最期の名曲。 ここで日本だけは某レコード会社の宣伝/リリースに引っ張られて日本市場に向けて制作された(イタリア人すら聴いていない)イタリアンユーロビートにしがみつき、ガラパゴス化の道を辿ってしまったという黒歴史があります。
Sonia – You’ll Never Stop Me Loving You (Prod. by Stock Aitken Waterman)
現在の基準ではハウスというよりブレイクスである、中国系ハーフのTim Simenon(ティム・シムノン)による世界的ヒット
Bomb The Bass – Beat Dis [1987]英
1987年~1989年はヒップホップがブレイクビーツを濫用した革新の時期で、米国ラップソングのリミックスをUKハウスのDJが担当するケースも多く見られました。
Eric B & Rakim – I Know You Got Soul (Double Trouble Remix) by Norman Cook = Fatboy Slim [1988]米 Hip Hop
故・フランキー・ナックルズが大阪のクラブDJの祖、故・天宮志狼らと共に心斎橋の伝説的クラブGenesis(ゲネシス)のDJを務めていた頃のハウスヒット、オリジナルはR&Bポップス
Natalie Cole – Pink Cadillac (Club Vocal) [1987]米
Dead Or Alive(デッド・オア・アライヴ)のハイエナジーサウンドがまだ売れていた1988年という早い時期にしてはブッ飛び過ぎていて、アシッドハウスとテクノの中間でインダストリアル~EBM(エレクトリック・ボディ・ミュージック)の延長上にあり、Hardcore Techno/Raveブームの到来を予感させる曲。ダンスミュージック革命「The Second Summer Of Love(セカンド・サマー・オブ・ラブ)」黎明期の代表的な曲でもあります。なぜかハウスの分類でしたが当時はハウスとテクノの分類もいい加減でした。
Humanoid – Stakker Humanoid [1988]英 Manchester/Acid House
世界で最初のハウスミュージック
House Music makes the news for the first time in Chicago [1986]
「どの曲が世界初のハウスか?」には諸説ありますが、候補とされるものをいくつかピックアップします。
ローランド TR-808でプログラミングされ、1983年に録音、1984年に世界で初めてレコード化されたハウスミュージックとされる Jesse Saunders(ジェシー・サンダース)の「On and On」。
Jesse Saunders – On and On [1984] Chicago
世界で初めてビルボードチャートに入ったシカゴ・ハウス。ヴァイナル・プレスの前にはカセットテープでリリースされていました。
Jamie Principle – Waiting On My Angel (Prod. by Frankie Knuckles) [1985] Chicago
広義のDeep Houseの登場
ただし最近では拡大解釈された「広義のディープハウス」の意味合いでも使われています。
こちらは歴史的経緯と無関係に、文字通り「Deep(ディープ)」という言葉の意味をそのまま感覚的に受け止めた用法です。
現在ではアメリカ人とイギリス人の間でもディープハウス観はかなり異なっており、この違いは聴いてきたトラックの種類と音楽経験に由来しています。
英国~欧州を舞台として、2010年代からTech House(テック・ハウス)の変種としてのポップス志向のハウス、Wankelmut、Klangkarussell、Robin Schulz、Felix Jaehnなどヨーロピアンハウスの楽曲が ディープハウスの名目で販売されはじめましたが、従来のディープハウスとは関連性が無いものでした。
EDMとハウスのボーダーラインからはコチラ側にあり、ちょうどテック・ハウスやトロピカルハウスと接したサウンドの曲が多くみられます。単なるパーティーソングではない、落ち着いたトーンの曲調からディープだと感じられてもおかしくない曲を含んでいます。(ただしDiscogsではDeep Houseでなく単にHouseとタグ付けされているケースが多い)
新定義のディープハウスが登場した背景には、DTMの進歩によりハウスの楽曲スタイルで「踊れるポップス」をリリースするのが容易になってしまった事情があると言えます。その気になれば古典風のハウスも作れるがその再現にとどまるつもりはない、といった姿勢と技術的余裕も伺えるので、一概に否定するわけにもいきません。
1970年代後半~1990年代前半のUS~NYガラージハウス、つまりLarry Leavan(ラリー・レヴァン)の影響下にあるアンダーグラウンド・ダンスミュージックとは全く異なる曲調のハウスであるため、古典派からは指摘を受け続けていますが、ビッグルーム・ハウス等「ハウス」の名を冠したEDM系の楽曲と明確に区別できる便利さもあり、実際にはもう少し柔軟な解釈で使われているようです。
2020年現在、最近の曲でディープハウスの例を挙げろと言われたら「Defected Records(ディフェクテッド・レコード)の曲みたいなの」と答えれば、否定する人はまずいないでしょう。
ちなみに英国のDefectedが考える「Deep House Anthems」はこちらのようになっており、テックハウスからエレクトロハウスまでも含む総合的なジャンル観となっています。
つまりディープハウスという用語自体が既に形骸化しているため、どこかで明確に線引きされるものではなく「音楽の方向性」を相対的に示す用語として使われていると捉えるべきでしょう。
発売当時はDeep House(ディープハウス)として売り込まれ、イビザ・アンセムとなったChris Malinchak(クリス・マリンチャック)のヒット曲。実質的にはテックハウスの変種であるトロピカルハウスとみなされます。
Chris Malinchak – So Good To Me [2012] NY
Deep House in K-POP [2019]韓
ディープハウス/ガラージ系のUKダンスポップの影響を多分に受けたK-POP特集。K-POP関連レビューではR&B系の曲をハウスと混同するケースが増えており(実際この動画の中にも紛れ込んでいます)、それを見たリスナーが更なる間違いを拡大させるループが続いていますが、判別のポイントはリズムトラックです。
AD:HOUSE 10 Crossfade by DiverseSystem [2022]日本
ソウルフルなディープハウスでは韓国よりも一日の長がある日本の同人ハウス集。
参考)mixmag – ”その曲はディープハウスじゃない!”
参考)mixmag – ”ハウスへと繋がった80年代初期ポスト・ディスコ・トラック10選”
参考)reddit – ”なぜディープハウスを選定するのにそれほど混乱が生じるのか? 真のディープハウスとは?”
クラブミュージックの最右翼:
ディープハウス至上主義とEDM
以下はブラックパワー運動から取り入れられたNorthern Soul(ノーザン・ソウル)のシンボル「Fist(握りこぶし)」と「Keep The Faith(信念を貫く)」のスローガンをハウスミュージックに流用したDefected Recordsのキャッチコピー。
”Not Everyone Understands House Music.”
1997年にエディー・アマドアが生み出し、後にディープハウスのキャッチフレーズとなったメッセージ ”Not Everyone Understands House Music.(誰しもがハウスミュージックを理解できる訳ではない)”。 商業主義的で分かり易い音楽しか解さないリスナーとの間に一線を引き、ディープハウスこそが至高のダンスミュージックだと位置付けるエリート主義的なフレーズとも言えます。
(ディープハウスのルーツが David MancusoやLarry Levan等の非凡な音楽マニアが選定したレア・グルーヴを再編曲したものであるため、ポップスに馴染み歌モノが好きな人、特に日常で洋楽を聴く環境にない日本人にとっては、ユーロビート・トランス・EDMと比べてハードルが高いのは当然とも言えますが)
2010年代のEDMブームに苛立ちを覚えたBBC Radio 1 ダンス部門の大将 Pete Tong(ピート・トン)がこのキャッチフレーズを掲げたキャンペーンを張ったり、ハウス黎明期のDJ達が設立したオンラインストア、Traxsource(トラックスソース)が同様のキャッチコピーを社の旗印としていることからも、ディープハウス至上主義を根強く支持する層が存在していることが分かります。
Eddie Amador – HOUSE MUSIC History / Interview
Eddie Amador – House Music [1997]米 LA Deep House
1990年代後半にこのようなメッセージソングが多数出て来たという事は、裏を返せばこの頃に「小難しく」感じられ始めたディープハウスが他のジャンルに人気を奪われたことによる焦燥感の表れとも言えます。
Aaron Carl – The Word (Let Me Tell You Something About House Music Original Acapella) [1998]米 Detroit
この思想はラスベガスの興行主たちが牽引する2010年以降のEDMブームが隆盛を極めるにつれ、「EDM系ダンスミュージックとの対立」という形で表面化し、軋轢を生んでゆきます。古参のハウスDJ達がEDMを「Vegas」という暗喩で呼ぶ理由はここにあります。
実際、現在のクラブミュージックはおおまかに言って「EDMっぽいもの」と「ディープハウスっぽいもの」に二極化して認識されており、DJ達の制作する楽曲もその2方向の間を行き来しているのが現状です。
(* 日本のクラブの分類になぞらえるなら、いわゆる「チャラ箱」と「音箱」)
この対立軸が明確であるうちは、「EDMは”Electronic Dance Music”の略語なのでハウスもEDMの一種である」といった机上の空論を振りかざしても、誕生から35年を経て電子化ダンスミュージックの宗主を自認しているハウスDJ達からすれば到底受け入れられないと言えるでしょう。
ディープハウスはEDMではない(EDMの定義と混乱の原因)
Cuepoint(キューポイント)の説明
ではなぜ特定分野のダンスミュージックを指すために「EDM (Electronic Dance Music)」といった広範囲な用語が使用されてしまったのかということですが、cuepoint(キューポイント)が一つの解を提示しています。
”それ以前のエレクトロニカのように、EDMという用語は明確な語源を持っていません。よく知られているのは、1985年という早い時期に、異種のサウンドを1つの市場に出しやすい部門にまとめるために使用されていた企業用語として使用されていたことです。 ~(中略)~ この分類の統合の理由は、アメリカで大規模フェスティバルイベントを盛り上げるために必要な「規模の経済性:Economies of Scale」と大いに関係があります。十分なチケット購入者を引き付けるには可能な限り広範囲のダンスミュージックに網を投げる必要があったという事です。” (cuepoint:Etymology of EDM:EDMの語源 by Joshua Glazer)
Mixmag(ミックスマグ)の説明
このラスベガスの目論見(フェスへの集客を目的とした名称の統合)に対する抵抗として、世界的なクラブミュージック専門誌 mixmag(ミックスマグ)ではEDMの定義について次のように述べています。
”まず最初に「EDM」を定義しましょう。 mixmagによるEDMの定義はすべての「エレクトロニックダンスミュージック」を網羅しているわけではありません。 それはアメリカを征服した、ヘビーなDrop(サビ)を持ち、スタジアムを満たし、観客が拳を突き上げ、チャートのトップを占める、大規模な商業的メインステージのサウンドを意味します。 それは蛍光色ベストを着た保安員であり、EDC、Ultra、ラスベガスのプールパーティー等であり、そして(Steve Aoki等がやる)ケーキ投げを意味します。” (mixmag: 8 Reasons EDM Is Over (And 4 Reasons It Isn’t) 2015年)
Vice(ヴァイス)/ Thump(サンプ)/ Noisey(ノイジー)の説明
Cuepointとmixmagのコラムを統合して、Viceでは以下のようにまとめています。
”Cuepointで書いている批評家のJoshua Glazer(THUMPの寄稿者でもあります)によると、これは「異種の音を1つの市場に出しやすい部門に包むために使用される企業用語です。それは1985年に米国で造られましたが、~(中略)~ EDMは、音楽のグループ化の意味で、大きなドロップと高い制作価値を特徴とする、通常は巨大なアリーナで演奏されるバリアントダンスミュージックを指定するようになりました。Skrillex、deadmau5、Sebastian Ingrosso、Axwellなどのアーティストに人気がありました。それらのアーティストは2010年代に有名になりましたが、クラブミュージックは1970年代にディスコがニューヨークで注目を集めて以来存在しています。 THUMPの読者ならよくご存知のように、EDMは電子音楽全体のごく一部にすぎません。」” (noisey(Vice): Stop Confusing EDM With All Electronic Music, Already:もうEDMを全ての電子音楽と混同するのはやめて下さい 2016年)
Nicky RomeroやShowtekの楽曲など、後のEDMに大きな影響を与えたElectro House(エレクトロ・ハウス)をメインストリームに押し上げた先駆けとして知られるベニー・ベナッシの「Satisfaction」。ハウスがEDMの一部なのではなく、EDMがハウスから派生したものであるため、定義を拡げようとすると矛盾が生じるのは当然とも言えます。(ジャズをフュージョンの一部だと呼ぶようなものです)
Benny Benassi – Satisfaction [2002]伊 Electro House
Fedde Le Grand – Put Your Hands Up For Detroit [2006]蘭 Electro House
Fake Blood – Mars [2008]英 Fidget House / Electro House
アンダーグラウンド精神というものを持たず、どんな種類のクラブミュージックも大箱向け=ビッグルーム向けに変換してしまう癖のあるオランダからこのタイプのEDMソングが出てきたのも納得です。
Showtek – Booyah [2013]蘭 EDM / Big Room House / Electro House
The Blessed Madonna(ブレスドマドンナ)
以下は、故フランキー・ナックルズの後継者としてアンチ商業主義/原点回帰の崇高な理想を掲げたディープハウス至上主義の急先鋒、この分野の最重要人物である The Blessed Madonna(ブレスドマドンナ)=旧The Black Madonna(ブラックマドンナ)のDJプレイです。フランキー世代と異なるのは選曲にあたってハウスとテクノの間の垣根が取り払われている点です。自ら設立したレーベル名「We Still Believe」にもディープハウス復権への強い信念が表れています。
Can You Feel It ~ 如何にしてダンスミュージックは世界を制覇したか
ブラックマドンナがダンスミュージックの歴史を詳しく解説する貴重な1時間特番!MFSBのアール・ヤングによるFour on the floor(4つ打ち)からハウス・テクノの誕生までを網羅!Part 2ではデヴィッド・マンキューソの「Loft」とラリー・レヴァンの「Paradise Garage」を解説。
(現在YouTubeから動画削除、Trailerのみ)
ハウスミュージックのカテゴライズ
「ディープハウス」という言葉は少なくとも90年代中盤頃まではキャッチフレーズとして頻繁に使われたものの、このような大雑把な名称は当時のカテゴライズには用いられておらず、実際には2000年以降に一般化したカテゴリ名称でした。
例)2000年に設立されたDiscogsにおける1990年のNYガラージ・ハウスの表記
つまり現在のジャンル分けは過去の音源に遡及した結果にすぎず、だからこそ、80年代~90年代のどの楽曲を指すかについてもよく議論のテーマに挙がります。
ディープハウス系として挙げられるクラブ/イベント
- Paradise Garage (NY)
- Club Shelter (NY)
- Tunnel (NY)(90s前半まで)
- The Warehouse (Chicago)
- The Sound Factory Bar and Sound Factory (NY)
- Body & Soul (NY)
- Smart Bar (Chicago)
- DC10 / Circoloco:シルコロコ (Ibiza)
狭義のDeep Houseの例
挙げればキリがないため、メジャーなところで一例にとどめます。
黎明期の定番曲についてはmixmagの次の特集が異論のないところでしょう。
mixmag:The Best 20 House Classics From Before 1990
シカゴハウス・アンセム Move Your Body
郵便局で働いていたマーシャル・ジェファーソンが生み出したアンセム曲。ピアノ演奏が入っているために当初はハウスとみなされていなかったものの、ロン・ハーディ、フランキー・ナックルズの助力を得てシカゴハウスの大ヒットとなった曲です。ハウス伝統のキャッチフレーズ「HOUSE MUSIC ALL NIGHT LONG」はこの曲が原典です。
Marshall Jefferson – Move Your Body (Mixed by Ron Hardy) [1986] Chicago
イタロディスコからインスパイアされフランキー・ナックルズとその右腕エリック・カッパーにより録音された歴史的名作、「Baby Wants To Ride」も同路線。
Frankie Knuckles, Jamie Principle – Your Love [1986] Chicago
CeCe Rogers – Someday (produced by Marshall Jefferson) [1987]米
シカゴのラジオ局WBMXによって選ばれたFarley “Jackmaster” Funk、Kenny “Jammin” Jason、Julian “Jumpin” Perez等を擁するDJチーム Hot Mix 5のメンバーとして、フランキー・ナックルズが在籍していたシカゴのクラブ The Warehouse(ウェアハウス)の店名を元に「ハウスミュージック」という言葉を生み出した Ralphi Rosario(ラルフィ・ロザリオ)の代表曲。
Ralphi Rosario – You Used To Hold Me [1987]米
イビザの民もこれで踊っていた「シカゴハウス音頭」とも呼べる迷曲。ハウス系クラブのみならず日本中のディスコでもヒットしましたが、当時ユーロビートで集客していたマハラジャ、キング&クイーンなど有名ディスコでは、まだハウスに馴染めなていなかった日本人の嗜好に合わせてこの曲あたりをフロアプレイのボーダーラインとしていました。(実際にはLil LouisくらいまではOK)
Kenny “Jammin” Jason & “Fast” Eddie Smith – Can U Dance [1987]米
後にレイブ/ハードコアテクノの名曲「SL2 – DJs Take Control」として復活するフランキー・ナックルズ・プロデュース曲。
The Nightwriters – Let The Music (Use You) [1988] Chicago
Jack House(ジャックハウス)/Jacking/Jackin’ House(ジャッキンハウス)/
ハウス・クラシックの枠内でも最古の部類で、シカゴハウスと聞いて人々が真っ先に思い浮かべる原始的なサウンドです。リズムマシンをもてあそんでループトラックを濫造したハウスミュージックの原点であり、初期のものは厳密にはディープハウスの定義から外れますが、大部分の構造はそのままディープハウスに引き継がれています。
(例えればDTMに目覚めた若者がチープなEDMを濫造したのと同様の流行です。)
※ 非常にまぎらわしい事にJackin House(ジャッキンハウス)というワードは現在も別の新しい定義で使われているジャンル名で、黎明期のものとは全く意味が異なっています。
元々は以下のようにリズムマシンでシカゴ特有のクラップサウンドやサンプリングを多用したパーカッシブなリズムトラック系のハウスを指しています。一方で現在ジャッキンハウスと呼ばれる楽曲はディスコハウスと被るファンキーなハウスを指しています。前述の「Farley Jackmaster Funk – Love Can’t Turn Around」も該当します。
Chip E – Time to Jack [1985] Chicago
原曲はSalsoul Recordsからリリースされた有名曲 First Choice「Let No Man Put Asunder」
Steve “Silk” Hurley – Jack Your Body [1986] Chicago
Housemaster Boyz (Farley “Jackmaster” Funk) – House Nation [1986] Chicago
Acid House(アシッドハウス)
電気グルーヴ Roland TB-303 実演 [1994] Mステ
mixmag:The History Of Acid House In 100 Tracks
アシッドハウスの歴史はRoland TB-303のレゾナンス(共振)を用いたアシッドサウンドを基準にするかどうかで解釈が変わります。
(※ Wikipediaや情報メディアにも誤解が含まれ紛らわしいのですが、実はRoland TB-303の「アシッドサウンド」は後から命名された名前でアシッドハウスの必須の要件ではありません。ジャンル誕生当時はブリープに近くシンセがウネウネしてドラッグのような酩酊感を与えればOKとされていました。)
アシッドハウスの流行の舞台はUKに移り「A Guy Called Gerald – Voodoo Ray」のようなヒットと共にスマイリーフェイスがシンボルとして使われ、DCコミックスのWatcmen(ウォッチメン)から引用した血糊のついたスマイリーのバリエーションも登場しました。
まず筆頭に上がるのが、1986年にリリースされた、プロト・アシッドハウスとでも呼ぶべき微妙な位置付けであるディープハウスの代表曲、Larry Heard(ラリー・ハード)の「Can You Feel It」です。前述の事情によりRoland Juno(JU-06A)を使用したこの曲もアシッドハウスとみなす向きがあり、DiscogsにはAcid Houseとしても登録されています。
Fingers Inc. (Larry Heard) – Can You Feel It [1986] Chicago
Mr. Fingers (Larry Heard) – Can You Feel It [1987] Chicago
DJ Pierre(DJピエール)がPhuture(フューチャー)名義で制作し一般的に歴史上初のアシッドハウスと言われている「Acid Tracks」は1985年に制作されたものの、実際にリリースされたのは1987年でした。その間の1986年にSleezy D(マーシャル・ジェファーソン)からTB-303を用いたアシッドサウンドの曲としてレコード化された最初の曲「I’ve Lost Control」がリリースされています。
Sleezy D (Marshall Jefferson) – I’ve Lost Control [1986] Chicago
Phuture (DJ Pierre) – Acid Tracks [(1985)-1987] Chicago
ジャッキンハウスからの移行期、アシッドサウンド模索中のヒット曲
Bam Bam – Give It To Me [1988] Chicago
Farley Jackmaster Funk – The Acid Life [1988]米 Chicago
このTB-303シンセフックからベルギーのJo Bogaertが「Technotronic」というタイトルの曲を制作、世界的ヒット「Pump Up The Jam」が誕生しました。
The Acid Life / Jo Bogaert~Technotronic 関連曲を表示
Todd Teryの「Royal House – Can You Party」と「Black Riot – A Day In A Life」を美味しいとこ取りして混ぜた曲ですが、正直コレがアシッドなのかと言えば「This Is Not Acid」、というかトッド・テリーそのものだろ的なヒット
MAURICE – This Is Acid (A New Dance Craze) [1988] Chicago
Tyree (Tyree Cooper) – Acid Crash [1988] Chicago
「Pacific」が大当たりする前の808ステイトによるアシッドハウス
State 808 – Let Yourself Go (303 Mix) [1988]英
それを本当にアシッドと呼んじゃっていいのか若干心残りなアシッドハウスヒット
D Mob feat. Gary Haisman – We Call It Acieed! [1988]英
Hip House(ヒップ・ハウス)
HipHopとHouseの合成語です。後にマイケル・ジャクソンのプロデュースも手掛けることになるサンプリングの鬼才、Todd Terry(トッド・テリー)がRoyal House名義で制作した原曲「Can You Party」に、ラップを乗せたヒップ・ハウス版、ジャングル・ブラザーズのバージョンを筆頭として挙げておきます。そしてこれらの曲もまたマーシャル・ジェファーソン「Move Your Body」の断片から成り立っています。このヒップハウスはイタロハウスやUK Rave(レイヴ)に影響を与えた後に短命で衰退し、90年代に入ってからはGhetto House(ゲットーハウス)へと引き継がれてゆきます。
Todd Terry – I’LL HOUSE YOU Interview / Royal House
Jungle Brothers – I’ll House You (Arranged By Todd Terry) [1988] NY
カットアップ・ブレイクスやDJ Shadow~UNKLE等のトリップホップにより近いスクラッチ入りの初期ヒップハウスですが、リズムトラックはデトロイトテクノのReese (Kevin Saunderson) & Santonioが制作した「The Sound」を使用。
The Todd Terry Project – Back To The Beat [1988]NY
Baltimore Club(ボルチモアクラブ)でも人気となったLyn Collins「Thinkブレイク」ネタのヒップハウス代表曲
Fast Eddie – Yo Yo Get Funky [1988]米 Chicago
芝浦GOLDではヴォーガーさん達も一緒に大盛り上がりのヒップハウス!
2 In A Room (prod. by George Morel) – Wiggle It [1990] NY
Ghetto House(ゲットー・ハウス)
DJ Deeon – Freak Like Me [1996]米 Chicago Ghetto House
その他ミクスチャー系
その他、ロンドンからはスカハウス(Skacid = Ska + Acid)、ラガハウス等も登場しましたが単なるミクスチャー系のハウスはいずれも短命に終わりました。(中にはロングジーDの「This is Ska」のように後からバッド・マナーズの生演奏に逆採用されるものも現れました。)これらはディープハウスの系統にも入れず、今は無かった事にされています。
Longsy D’s House Sound – This Is Ska [1989]英
Lieutenant Stitchie – Dress to Impress (Steve “Silk” Hurley House Mix) [1989]ジャマイカ/米 Ragga House
Simon Harris starring Daddy Freddy – Ragga House [1990]英 Ragga House
Italo House(イタロ・ハウス)
美麗なピアノ(+KORGオルガン)演奏がイタリア製ハウスの特徴で、現代のピアノハウスも依然としてこのイタロハウスの影響下にあります。一方でピアノハウス/オルガンハウスという用語はジャンル名ではなく形容的な総称で、ディープハウス全体に根を下ろしています。こちらは日本のレジェンダリーDJ、EMMA(エンマ)/木村コウも芝浦GOLDでヘビーにプレイしていた1990年イタロハウスの名曲。派手なリズムトラックはFast Eddie等ヒップハウス系シカゴハウスの影響を受けています。イタロハウスはその後レイブ調の楽曲と相まって商業主義的な楽曲を濫造し品位とディープさを失ってゆきます。
Touch Of Soul – We Got The Love [1990]伊
FPI PROJECT – Rich In Paradise (Going Back To My Roots) [1989]伊
Nikita Warren – I Need You [1991]伊
Tribal House(トライバル・ハウス)
元々はNYガラージハウスのサブジャンルとして誕生し、リズムトラックの面で主にアフリカ~ラテン音楽の影響を受けたトライバルハウスのクラシック・アンセムです。ただしネタをアフリカ音楽にすれば良いという単純なものでもなく、こちらはナイル・ロジャース Chic(シック)の「Dance, Dance, Dance」が原曲です。
Earth People (Pal Joey) – Dance [1990]米 NY Tribal House / Funky House
Morenas – Cuando Brilla La Luna (Mr. Marvin Tribal Mix) [1992]伊
River Ocean (Louie Vega) ft. India – Love & Happiness [1994]米
トライバルハウスがリズムトラック面に関連する一方で、Afro House(アフロハウス)はアフリカ民族音楽色を色濃く持っています。また両者は重複する部分もあり、以下のハウスヒットもそれに該当します。(ユニット名がTribal Houseなのでなおさら紛らわしい)
Tribal House – Motherland (Africa) [1990]米 NY Afro house/Tribal House
和製ディープハウス/ジャパニーズハウス
海外リリースなのでもはや和製とは言い難いですが富家哲が早稲田大在学中にFrankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)と組んで生み出した世界的クラブヒット。
Frankie Knuckles presents Satoshi Tomiie – Tears[1989]日/米
ジャパニーズ・ハウスミュージックの先駆者、永山学と寺田創一のコラボ作品。最近では2人の新ユニットMnst.がKero Kero Bonitoのセーラをプロデュースしています。
La Ronde(永山学&寺田創一) – Low Tension [1991]日本
BBC Radio 1’s Essential Mix – Soichi Terada [2022.3.5]
日本のアイドル島田奈美をまさかのLarry Levan(ラリー・レヴァン)が存命中にリミックス! とは言え寺田創一のサウンドプロデュースに若干の変更が加えられたものに過ぎません。
島田奈美 – Sun Shower (Larry Levan Mix) [1991]日/米
作風のレンジが広いモンド・グロッソ(大沢伸一)作品の中でも「Star Suite」等と並び海外人気のハウスチューン。
Mondo Grosso – Do You See What I See (Deep Zone Remix) [1996]日/米
チャカ・カーンのバラード曲をハウスリミックス、エイベックスからのリリース。
GTS feat. Melodie Sexton – Through The Fire [1996]日/米 avex
EMMAと川内太郎によるリミックス定番曲。
MISIA – The Glory Day (EMMA Remix) [1999]日本
MISIA – The Glory Day (Malawi Rocks Remix) [2000]日本
Vocal Chop(ボーカル・チョップ)を多用したファンタスティック・プラスチック・マシーンこと田中知之の代表曲。
Fantastic Plastic Machine (FPM) – Why Not? [2002]日本
和製ディープハウスとして 故・David Mancuso(デヴィッド・マンキューソ)のプレイリスト=Loft Classics(ロフト・クラシック)入りを果たした、知る人ぞ知るジュディマリ YUKIの海外有名曲! リミキサー エリック・カッパーはフランキー・ナックルズ名義で名曲「The Whistle Song」を生み出した重鎮DJ/キーボーディスト。
YUKI – Joy (Eric Kupper Club Mix) [2005]日/米
早期の段階から歌謡曲をハウス化するだけの能力を持ちながら「むしろ先進的でない方が商売上都合が良い」という打算でクラブ系のプロデューサー達を長らく無視し続けてきた結果、ハウスで使われる電子楽器を製造しているのにクラブサウンド・メイキングが下手糞になってしまった我が国ですが、ハウスに馴染みのあるK-POP世代にその配慮は無用なので日本が復活する日も近いかも知れませんね。
NY Garage House(NYガラージ・ハウス)
ハウスミュージックの舞台はシカゴからニューヨークへと移ります。そしてシカゴ産ハウスもジャッキンハウスなどコテコテの古典的ハウスから次第にNYガラージの影響を受けオシャレで洗練されたものに変わってゆきます。
※ガラージュ=ガラージ=ガレージの意味。Larry Levan(ラリー・レヴァン)がDJを務めた駐車場跡のクラブ、Paradise Garage(パラダイス・ガラージ)が語源。当初は黒人の発音にならってガラージュと呼んでおり、この言葉はハウス誕生以前のダンスクラシック(ただしEW&FやCheryl Lynnを流すほどベタではない選曲)も含んでいます。
原曲はLarry Levan(ラリー・レヴァン)DJプレイの定番曲でもあった、1980年Artur Russel(アーサー・ラッセル)プロデュースによるLoose Joints(ルーズ・ジョインツ)の有名曲。
Underground Solution (Roger Sanchez) – Luv Dancin’ [1990] NY Garage House
Underground Solution – Luv Dancin’ 原曲を表示
David Mancuso(デヴィッド・マンキューソ)のロフトクラシックにもなった、Strictly Rhythmで最もディープな(ディープ過ぎる)曲のひとつ「Waterfalls」。
After Hours – Waterfalls [1991]
Fingers Inc.としてLarry Heard(ラリー・ハード)と活動を共にした彼の弟子、ヴォーカリストでもあるRobert Owens(ロバート・オーウェンズ)の大ヒット曲。
シカゴのFrankie Knuckles、NYのDavid Morales、日本のSatoshi Tomiie(富家哲)らが結成したDef Mix Productionsからのリリースで、実質的にシカゴとNYの合同プロジェクトといった方が近い、ハウス史に残る有名曲です。
Robert Owens - I’ll Be Your Friend [1991] Chicago/NY/日本
Those Guys (Basement Boys) – Tonite [1991]米 Baltimore
MK(Marc Kinchen)のリミックスによるハウスアンセム/イビザアンセム。このサウンドフォーマットは2010年代以降のハウス系ダンスポップのテンプレートとして今でも活用されています。
Nightcrawlers – Push The Feeling On (prod. by MK) [1992]英/米
UNIT 2 – Sunshine [1992]米 Detroit Deep House / Garage House
NY生まれNew Jersey拠点のDJ Dove(DJドーヴ)より、ピアノハウス・アンセムTop 17のひとつに数えられるカルト・ディープハウス。
DJ Dove – Illusions [1994]米 NJ Deep House / Garage House
現在のSoulful House(ソウルフル・ハウス)と呼ばれるサブカテゴリのテンプレートを生んだNYガラージハウスの雄、Masters At Work(マスターズ・アット・ワーク)。本来のディープハウスのコアな要素を持ち名曲の多いジャンルですが、その完成度の高さと引き換えにハウスを定型化しているという面を持ち、現在もNYのDanny Krivit(Body & Soul)、Louie Vega(MAW)、UKのSimon Dunmore(Defected)など保守派の重鎮DJ達が牙城を守っています。そしてこれ以降ハウスはNYガラージを舞台としたディープハウスの枠組みを超えて自在に形を変えながらUKと欧州で進化してゆきます。
Barbara Tucker – Beautiful People (prod. by Masters At Work) [1994] NY
90年代ハウスミュージックのひとつの到達点! 故・David Mancuso(デヴィッド・マンキューソ)のレパートリーにも加えられました。高度に洗練された傑作Jazzy House(ジャジーハウス)。
Nuyorican Soul (Masters At Work) – The Nervous Track [1993-1997] NY
Armand Van Helden – Witch Doktor [1994]米 Hard House
ヴォーギング向けの楽曲としてMasters At Workの「The Ha Dance」等と並ぶ Vogue House(ヴォーグハウス)のクラシック定番曲。
Joe T. Vannelli Project – Sweetest Day Of May [1995]伊
EMMAによりヘビープレイ、海外よりも西麻布YELLOWをはじめとする日本のディープハウス系クラブでアンセム化したイタリア産Gospel House(ゴスペルハウス)。
US Garage~UK Garageへの橋渡し、Gabriel(ガブリエル)
米国シカゴで製作され、英国のUK Garage(UKガラージ)、特に2 Step(ツーステップ)の原型となったアンセム曲です。英国BBC Radioが選ぶ「ダンスミュージックを形作った過去30年史上の重要曲」にも選出されています。
Roy Davis Jr ft Peven Everett – Gabriel [1996]米 Chicago House/UK Garage
誕生後10年を経てひととおりの完成をみたハウスミュージックは、90年代後半からより実験的な方向に進み、趣味人の音楽としてアンダーグラウンド化してゆきます。
ポップスとの乖離が進んだ結果、リスナーが記憶できる歌モノのアンセムも減少し、クラブDJの役割はヒット曲のプレイから「DJおまかせコース」的なものへと変化。
ベテランDJ以外がやると失敗しかねない選曲とトレンドの分かりづらさへの反動として、ディープハウスから新興ダンスミュージックへの客足流出も進みます。
Basement Jaxx – Be Free [1995]英
原曲は1978年Chick(ナイル・ロジャース)の大ヒット曲「I Want Your Love」。
Moodymann – I Can’t Kick This Feelin When It Hits [1996] Detroit
Kerri Chandler – Atmosphere (The Lost Dubs) [1998]米 NJ
Danny Tenaglia – Music is the answer ft. Celeda [1998]米 NY
原曲は1979年Stargardの「Wear It Out」。
Pete Heller – Big Love [1998]英
原曲は1979年Gary’s Gangの「Let’s Lovedance Tonight」。
Soulsearcher – Can’t Get Enough [1998]米 Florida
Pépé Bradock – Deep Burnt [1999] 仏
2000年以降はハウスミュージックの覇権を英国が握り、米国の良曲を買い集めるという逆転現象が起こります。自国の音楽資産の価値を自覚せず浮ついたアメリカではNYハウスの名門Strictly RhythmがロンドンのDefected に買収されました。その走狗となったのはLondon Records傘下のffrr や Ministry of Sound傘下のDefectedです。
Kings of Tomorrow – Finally [2001]米
Harry “Choo Choo” Romero – Tania [2001]米
Solu Music ft. KimBlee – Fade [2001-2006]米
Jon Cutler feat. E‐Man – It’s Yours [2001]米 NY
Julie McKnight – Home (Knee Deep Club Mix) [2002]米
Dennis Ferrer – How Do I Let Go [2006]米 Deep House/Garage House
Dua Lipa & The Blessed Madonnaの『Club Future Nostalgia』でも使われたラリー・ハード後期を代表するアシッドハウス。
Mr. White – The Sun Can’t Compare (prod. by Larry Heard) [2006]米 Deep House/Acid House
Hercules & Love Affair – Blind (Frankie Knuckles Remix) [2007/2008]米 NY
Maya Jane Coles – What They Say [2010]英
Dj Sprinkles (Terre Thaemlitz) – Hush Now [2010] 米(現在は川崎在住)
Lovebirds – Want You In My Soul ft. Stee Downes [2011]独 Deep House / Nu-Disco
原曲は2002年Reeloopの「Fucking Society」、そのまた原曲は1992年MK/Nightcrawlersの「Push The Feeling On」。
Flashmob – Need In Me [2012]伊
Detroit Swindle – The Break Up [2013]蘭
原曲は2013年のNY’s Finest「I Can’t Wait Till Tonight」でも使われた1991年Nikita Warrenのハウスヒット「I Need You」。
Shadow Child & Doorly – Piano Weapon [2014]英
DJ KOZE – Magical Boy [2015] 独
The Black Madonna – He Is The Voice I Hear [2016] Chicago
広義のDeep Houseの例
それを表現するのにふさわしい言葉がないため、結果的にDeep Houseとされる例です。
Duke Dumont – Need U (100%) feat. A*M*E [2013]
Secondcity – I Wanna Feel [2014]
Route 94 – My Love ft. Jess Glynne [2014]
Bakermat – Teach Me [2014]蘭
David Zowie – House Every Weekend [2015]
Dusky – Cold Heart [2017]